東京高等裁判所 平成6年(ネ)349号 判決 1995年6月30日
控訴人
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
西村康雄
右訴訟代理人弁護士
中村勲
右訴訟代理人
室伏仁
同
福田昭夫
同
伊藤文孝
被控訴人
藍和夫
被控訴人
岡本明男
被控訴人
金井四朗
被控訴人
清水敏正
被控訴人
遊佐修造
被控訴人ら訴訟代理人弁護士
岡田尚
同
星山輝男
同
飯田伸一
同
芳野直子
同
杉本朗
同
山崎健一
同
鵜飼良昭
同
岡部玲子
同
田中誠
同
岩村智文
同
西村隆雄
同
藤田温久
同
三嶋健
同
小口知恵子
同
森卓爾
同
影山秀人
同
小野毅
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中、控訴人の敗訴部分はこれを取り消す。
2 被控訴人らの各仮処分申請を却下する。
3 控訴費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
主文と同旨
第二事案の概要
本件事案の概要は、次のとおり訂正するほか、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
一1 原判決二枚目裏四行目の「したこと」を「したことなど」と、同五枚目表四行目の「同金井」から同五行目の「遊佐に対し」までを「同金井、同遊佐に対し」とそれぞれ改める。
2 同五枚目裏二行目の冒頭から同九枚目裏九行目の末尾までを次のとおり改める。
「四 本件懲戒処分に至る経緯等(1、2の事実は当事者間に争いがない。3ないし5の事実は、<証拠・人証略>によって認められる。なお、一部争いのない事実を含む。)
1 人活センターの設置
国鉄は、先般のいわゆる国鉄改革の一環として、昭和六一年七月一日、国鉄の全国の総局、管理局の現業機関一〇一〇か所に人活センターを設置した。国鉄は、この人活センターを、国鉄の企業体質の合理化を進めるため、それまで各地方機関ごとに業務推進チーム等の名称で行ってきていた余剰人員対策を統一的に整理し、国鉄の増収活動、経費節減、新事業分野への進出のための多能化教育等を実施する目的で設置したものであるとし、なお、有効な活用方を図る必要から、当分の間安定的な運用に努めるが、余剰人員の特定化を目的とするものではない旨の方針を示した。
2 人活センターの設置に対する国労の対応
国労は、国鉄の分割、民営化に反対する運動を展開し、人活センターに関しては、国労の各支部、分会の役員、活動家と一般組合員を分離し、役員、活動家を差別的に取り扱い、見せしめとすることによって孤立させ、国鉄の分割、民営化に反対する国労の活動を押しつぶそうとする国労排除、国労潰しのシステムであると批判し、その廃止を求める運動を行っていた。そして、国労は、国鉄の一般の職場において勤務時間中の組合活動が禁止されていたにもかかわらず、個々の組合員に対して、これらの分割、民営化反対、人活センター廃止要求等の運動を職場闘争という形で日常の職場で実践するよう指導していた。
3 新鶴見人活センターでの状況
こうした背景の中で、国鉄東京南鉄道管理局新鶴見運転区に新鶴見人活センターが設置され、被控訴人らは同運転区勤務兼同人活センター担務の発令を受けた(以下、新鶴見人活センター又は後記横浜人活センターへの兼務発令を受けた者を「兼務職員」という。)。ただし、被控訴人清水は右発令後も横浜機関区で勤務していた。
ところで、右兼務発令を受けた職員のうち新鶴見人活センターで勤務するようになった者は、AからFの班に分けられ、Aは、貨車等の解体作業に従事し、Dは車種転換教育、Eは玉掛け、クレーン、ボイラー等の特殊技能資格取得教育、Fはパソコン等OA教育をそれぞれ受けることになったが、B、C班に配属された被控訴人ら(清水を除く)を含む兼務職員(後記異動当時には二三名となる)は、廃車から外された「日本国有鉄道」のプレートを磨いて商品に仕上げる銘板製作などの増収活動、操車場内の草刈りや不用品の撤去、焼却等の環境整備、経費節減作業に従事することになった。これらの作業は本来の鉄道業務に属しないものであり、このため、運転士には電車乗務に係る諸手当てが支給されなくなるなど殆どの兼務職員は減収になった。また、B、C班に属した兼務職員らの控室は昭和五九年二月から使用されておらず、古く雨漏りがして天井に雨水を受ける漏斗が設けられていた部屋であったなど、労働環境はよくなかった。
右兼務職員らは、国鉄当局の方針やこうした処遇に抗議して、現場管理者の指示、命令にしばしば反発し、また余剰人員として特定化されることを懸念して現職復帰を要求するほか、国鉄の分割、民営化反対や人活センター廃止要求の宣伝活動を行っていた。
4 横浜人活センターにおける一一月一〇日午後四時一〇分ころまでの状況
(一) 昭和六一年一〇月三一日限り新鶴見運転区及び横浜機関区は廃止され、新鶴見人活センターに勤務していた前記B、C班所属の二三名のうち被控訴人ら(清水を除く。)を含む二二名と横浜機関区に勤務していた被控訴人清水を含む三名の合計二五名は、横浜貨車区勤務兼横浜人活センター担務として横浜貨車区(旧横浜機関区)構内の横浜人活センターへの異動を命ぜられた。新鶴見人活センターに勤務していた兼務職員のうちA、D、E班に属していた者は、作業を終えあるいは廃止によりそれぞれの本務に戻り、F班に属していた者は新鶴見機関区で人活センターパソコン教室員として残り、被控訴人らを含む二五名の職員だけが異動の対象になった。これら兼務職員は、新鶴見運転区、東神奈川電車区、弁天橋電車区、横浜機関区等国労横浜支部の拠点職場に勤務して活動していた役員、組合員であった。
同年一一月六日午後四時二五分ころ、新鶴見人活センターから、年次休暇を取っていた四名を除き、被控訴人藍、同岡本、同遊佐を含む兼務職員一八名が横浜貨車区構内の事務棟(以下「事務棟」という。)前に着いて横浜人活センターに赴任した。なお、赴任の際、同職員らは新鶴見人活センターの備品等を含め多くの荷物を運んで来たため、当局はこれらの備品を右センターに送り返した。また、被控訴人清水を含む兼務職員三名は、横浜機関区の廃止により、同年一一月一日以降後記旧検修詰所で残務整理作業に従事していたが、同月七日に新鶴見人活センターから赴任した兼務職員らと合流した。
ところで、国鉄当局は、横浜人活センターに配属されたこれら兼務職員の控室を、一階が管理者の執務室になっている事務棟の二階の旧指導訓練室(以下「指定詰所」という。)に指定した。右指定詰所は、北向きで陽当たりの悪い、広さ約四六平方メートルの部屋で、便所の臭気が部屋に流れ込んでおり(五十嵐助役においてその後間もなく臭気対策のため消毒薬を撒いた。)、長机と長椅子が置かれていた。また、詰所の向かいの約一四平方メートルの広さの旧ベッド室をロッカー室(更衣室)と指定した。これらの部屋は、いずれも長い間あまり使用されていなかった部屋であり、新鶴見人活センターの詰所(約一四〇平方メートル)に比べると三分の一程度に狭かった(もっとも、当時の国鉄建築物設計基準規程によれば、一般無机の詰所は一人につき一・一平方メートルとされている。)。なお、新鶴見人活センターでは、センター設置反対の支援団体等が構内に出入りしたり、職員がセンター反対の宣伝活動のため町に出向くことがかなりあった。当局は、これら管理運営上の問題も考慮して、前記のとおり兼務職員の控室を事務棟の二階に指定したうえ、敷地周囲の四か所ほど空いている部分や屋上出入口を、通り抜けや屋上で旗を立てたり放送することを防ぐために有刺鉄線でふさぎ、正門も施錠できるようにした。
横浜貨車区加瀬区長は、一一月六日、着任した直後の右兼務職員らに対し、控室は旧指導訓練室(指定詰所)である旨を告げ、同所へ入るよう指示した。しかし、余剰人員として特定されたとしてもともとこの異動に不満であった右兼務職員らは、部屋が狭い、暗い、臭い、たらい回しにされているなどといって加瀬区長の指示に従わずこれを無視して、事務棟から約八〇メートル離れた同構内の旧検修詰所建物(以下「旧検修詰所」という。)へ入った。右詰所は約九三平方メートルの広さであり、被控訴人清水を含む三名がそれまで同所で働いていた。なお、当局は横浜運転区列車係四三名の詰所に同所をあてる予定であった。
これに対して、加瀬区長や他の助役らの管理者は、旧検修詰所へ赴き、直ちに指定詰所へ移動するよう通告するとともに、明日以降の始業時刻を午前八時二〇分とすることを通告した。国鉄職員の始業時刻は原則として午前八時三〇分(新鶴見人活センターも同時刻)とされていたが、業務上の都合や通勤事情等によりこれを変更することができるものとされており、横浜人活センターのある横浜貨車区においては、就業規則に則った手続に従い始業時刻を午前八時二〇分とすることが定められていた(なお、旧横浜機関区においては、午前八時二五分と定められていた。)。
しかし、兼務職員らは、指定詰所に入らず旧検修詰所を占拠し続け、加瀬区長の右始業時刻の通告を一方的なものと受け止めてこれに激しく抗議した。そのため、同区長は、やむなく、明日に限り始業時刻を八時三〇分とする旨を告げてその場の紛糾を回避した。
(二) 一一月七日午前八時三〇分ころ、被控訴人藍、同岡本、同遊佐を含む兼務職員らが事務棟前に集合したが、これらの者がいずれも私服のままであったため、加瀬区長は、点呼のためには制服を着用して集合するように指示した。しかし、これら兼務職員は、「俺たちは来たくてここへ来たのではない。」などと言いながらそのまま旧検修詰所へ入ってしまった。管理者らは、直ちに同詰所に赴き、兼務職員らに対し制服を着用して点呼場所である事務棟前に集合するよう指示したが、兼務職員らが容易にこれに従わないため、さらに、数度にわたり「集合しないときは否認(欠勤扱いにして賃金カットをする趣旨)とする。」旨を通告して、ようやく午前一一時四五分ころに事務棟前での点呼を終えた。
管理者らは、昼休みが終了した午後一二時四五分から、右被控訴人ら三名及び被控訴人清水を含む兼務職員らを指定詰所に集合させ、横浜貨車区における勤務に関して始業、終業の時刻、休憩時間、点呼場所等の一般的事項を説明したが、これに対して、兼務職員らは、「八時二〇分の始業時刻は認めない。」などといって騒ぎ立て、管理者のその他の説明にも反発、抵抗して午後一時四〇分すぎころ全員がそのまま旧検修詰所に引き上げ終業時刻までこれを占拠し続けた。
なお、休暇等のため前日に赴任していなかった被控訴人金井を含む兼務職員四名が同日午後二時二五分ころ横浜人活センター事務棟前に到着し、加瀬区長がこれらの者に対して詰所が事務棟の二階であることを告げて同所へ入るよう指示したが、この四名の兼務職員も、右指示に従わず旧検修詰所へ入った。そして、この四名は、管理者らから再三通告を受けたすえ午後四時すぎころに指定詰所に出頭し、管理者らから勤務上の一般的事項の説明を受け終わるや、また旧検修詰所へ戻った。
(三) 一一月一〇日、被控訴人ら五名を含む兼務職員らは、始業時刻である午前八時二〇分までに事務棟前の点呼場所に集合せず、管理者らは、被控訴人清水を含む三名については午前八時二五分に(同人らは従前勤務していた旧横浜機関区の始業時刻に従って集合した。)、その余の休暇者を除く一九名の兼務職員については午前八時三〇分に至って点呼を実施することができ、前者に対しては五分、後者に対しては一〇分の否認をそれぞれ通告した。そして、管理者らは、点呼、体操に引き続いて、兼務職員らに対し、旧検修詰所から出て指定詰所へ移動するよう指示すると共に、午前九時から指定詰所において業務に係わる連絡事項の伝達や指示を行う旨伝えたが、兼務職員らは、そのまま旧検修詰所へ帰り、午前九時三〇分まで指定詰所に集合しなかった。このため管理者らは、これら兼務職員の全員に対して一五分の否認を通告した。その後、管理職らは、兼務職員らに対し、指定詰所において、今後の業務遂行に伴う兼務職員らの班別編成名簿、標準作業ダイヤ等を配付したうえ、業務連絡事項の伝達と一般的な業務上の指示をしたが、これに対しても、兼務職員らは、再び始業時刻八時二〇分は認めないと発言するなどして騒ぎ立て、加瀬区長が、その場の混乱を避けるため、一旦右説明を中断しその場で待機するよう指示して執務室へ戻ったところ、その直後、全員で旧検修詰所へ引き上げた。
同日午後、兼務職員らが旧検修詰所を占拠したままであったので、森助役、堀江助役、今井助役らの管理者は、一時過ぎから四時一〇分ころまでの間に、数回にわたって旧検修詰所へ赴き、兼務職員らに対し事務棟二階の指定詰所へ移動するよう通告し、また、要望に応じて貨車区構内を一巡させたりもしたが、兼務職員らは、通告を無視し依然として正規の詰所へ移動する気配を示さなかった。
5 堀江助役、今井助役は同年一一月一一日、森助役は同月一二日、それぞれ医師の診察をうけたところ、堀江助役が三日間の経過観察を要する顔面、後頭部、頭部打撲、今井助役が三日間の治療を要する頸部捻挫、森助役が全治約四週間を要する右胸部打撲、右第七肋骨皸裂骨折との診断を受けた。そして右助役ら三名は、上部組織である東京南鉄道管理局の管理者らと協議した結果、その指示により、同月一四日、神奈川県戸部警察署に対し、被控訴人ら五名を刑事告訴した。その後これによって捜査が遂げられ、被控訴人藍、同金井、同遊佐の三名は、同年一二月一七日、暴行による公務執行妨害等の罪により横浜地方裁判所に起訴された。
東京南鉄道管理局は、同月二六日、被控訴人らに対し、それぞれ、原判決別紙懲戒処分事由一覧表記載のとおりの事由を記載した各事由書を添付して各懲戒処分の事前通知書を交付した上、昭和六二年二月九日もしくは一〇日付けで前記のとおり本件懲戒処分を発令した。」
3 原判決九枚目裏一一行目の「その後の」を「前記昭和六一年一一月一〇日午後四時一〇分ころまでの出来事に続いて、」と改める。
二 控訴人の当審における主張
1 本件懲戒処分は、被控訴人らが横浜貨車区人材活用センター(横浜人活センター)担当職務に指定されて赴任した昭和六一年一一月六日から同月一〇日までの間に、被控訴人らが行った、<1> 管理者らの度重なる指示に反して繰り返した旧横浜機関区検修詰所(旧検修詰所)の不法占拠、<2> 指示された始業時刻の不遵守、<3> 勤務中における管理者に対する暴言、暴行、<4> 管理者執務室への乱入等の一連の非違行為に対して、当時の国鉄の職場規律秩序を維持するために発令したものである。本件懲戒処分発令の前に被控訴人らに発した懲戒処分通知書添付の事由書には、これら一連の非違行為のうち特に象徴的な管理者に対する暴行行為の一部が掲記されているのであり、懲戒処分事由がその掲記された暴行行為のみに限定されるものでないことは右の事由書の中に、暴行行為の掲記に続けて「・・こと等は職員として著しく不都合な行為である。」と記載していることからも明らかである。したがって、本件懲戒処分の有効、無効を判断するにあたっては、単に一一月一〇日当日の特定の時刻における一挙手一投足たる特定の暴行行為の有無のみにとらわれるべきではなく、右の懲戒処分の対象とされた一一月六日から同月一〇日までの間の一連の非違行為の全てについて、その存否と当否を判断すべきである。
なお、懲戒処分事由の範囲に関しては、<1> 懲戒処分事由は、懲戒処分時点で存在する事由のすべてを考慮してよいものであり、懲戒処分事由書などに記載されていなくても差し支えないという考え方と、<2> 基本的には懲戒処分事由書などに記載されている事由に限定されるが、その記載された事由と同一性がある事由、ないしは密接に関連する事由をも含むという考え方があるが、本件懲戒処分については、いずれの考え方によっても、一一月六日から同月一〇日までの被控訴人らの一連の非違行為が懲戒処分事由に含まれるものというべきであり、少なくとも、情状事由として考慮されるのが相当である。
被控訴人らの右の一連の非違行為の具体的内容は、慨ね、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」四項4(原判決七枚目裏三行目の冒頭から同九枚目裏九行目の末尾まで、ただし、前記のとおり、当審において全面的に改めた。)及び同五項2(原判決一〇枚目表六行目の冒頭から同一二枚目表五行目の末尾まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
2 仮に本件懲戒処分が無効であるとしても、被控訴人らは、平成二年四月二日以降、控訴人の職員としての地位を喪失しているから、被控訴人らには、同日以降の賃金請求権がない。すなわち、
昭和六一年一二月四日公布施行された日本国有鉄道改革法をはじめとするいわゆる国鉄改革関連八法律のうち「日本国有鉄道退職希望職員及び日本国有鉄道清算事業団職員の再就職の促進に関する特別措置法」(昭和六一年法律九一号、以下「特別措置法」という。)は、国鉄改革前に国鉄を退職希望する職員に対する特別の措置と国鉄改革に際して鉄道会社等の承継法人に採用されなかったため再就職を必要として日本国有鉄道清算事業団(以下「清算事業団」という。)にその身分が引き継がれた清算事業団職員に対する特別の措置を規定しているが、特別措置法は、昭和六五年(平成二年)四月一日限り失効する旨(同法附則二条)の定めがなされている時限立法である。
このため、右の清算事業団職員であって特別措置法の有効期間内に再就職をし得なかった職員は、同法の立法趣旨、目的に鑑み、同法の失効時をもって清算事業団職員の身分を失うことが予定されていたというべく、その結果、現在、清算事業団においては右のような職員は存在していない。したがって、被控訴人らも、平成二年四月二日以降、控訴人の職員としての地位を失ったものである。
3 被控訴人らは、平成六年二月一日、原判決に基づいて強制執行をし、それぞれ昭和六二年三月一日(ただし、被控訴人遊佐のみ同年二月一二日)から平成六年一月三一日までの支払分として、被控訴人藍が一七三六万三六〇〇円、被控訴人岡本が一八四〇万九四〇〇円、被控訴人金井が二三七二万九七〇〇円、被控訴人清水が二三〇四万九一〇〇円、被控訴人遊佐が二四九九万〇一七五円を取り立てた。
したがって、被控訴人らは、現在、総額一億〇七五四万一九七五円の金員を入手しているのであり、就労して賃金を取得することが極めて容易である現今の社会環境の下では、被控訴人らに対し、本件の賃金仮払いをすべき保全の必要性はない。
三 控訴人の主張に対する被控訴人らの反論
1 被控訴人らに対する本件懲戒処分の処分事由は、原判決別紙懲戒処分事由一覧表記載のとおりの事由だけであり、控訴人主張のような一連の非違行為が右の処分事由に含まれているものと解することは到底できない。右一覧表記載の処分事由の中に「等」という文字が記載されているとしても、それが一一月六日から同月一〇日までの間の行為をすべて含むと解することは不可能である。本件懲戒処分の処分事由が右一覧表記載の暴力行為だけであることは、当時国鉄東京南鉄道管理局総務部長であった力村周一郎もその陳述書(<証拠略>)で明言しているところである。
そして、右の暴力行為は、刑事判決及び原判決が説示するとおり、それ自体存在しないことが明らかである。
2 控訴人主張の特別措置法が昭和六五年(平成二年)四月一日限り失効する時限立法であることはそのとおりであるが、右特別措置法には、法の失効によって職員の地位が失われることを定めた規定は存在しない。だからこそ、控訴人は、「再就職を必要とする者として指定した職員」(同法一四条)であって平成二年四月一日現在在籍していた職員に対し、同日付けで、改めて解雇通告をしているのである。法の失効によって発生する法律効果は、再就職促進作業等の法律根拠を失うだけで労働者の身分とは無関係である。
加えて、もともと被控訴人らは、右解雇通告の対象とされた控訴人が「再就職を必要とする者として指定した職員」でもない。被控訴人らは、JR各社等承継法人に採用を希望したにもかかわらず、その振り分け作業から本件懲戒処分を理由にはずされた者であり、JR各社等承継法人により不採用との判断を受けた者ではなく、したがって、控訴人から「再就職を必要とする者」との認定やその旨の指定を受けたこともない。
右のとおりであり、特別措置法の失効をもって控訴人の職員としての地位を失うとの控訴人の主張は理由がない。
3 被控訴人らは、昭和六二年二月に本件懲戒処分を受けて以来、約七年間、労働者にとって生活の唯一の糧である賃金の支払いを受けられなかったので、借入金、カンパ等により最低限度で家族の生活を維持してきた。一審の認容判決を得て一安心したものの、その執行停止決定により、被控訴人らは深刻な生活危機に直面している。すなわち過去の賃金分は七年間の借入金に対する返済等で支出済みであり、毎月の賃金支払いが無いと、家族の生活の維持もままならない状況にあるのである。
第三証拠関係
証拠の関係は、原審及び当審記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
第四争点に対する判断
当裁判所も、被控訴人らの本件各仮処分申請は、原判決が認容した限度において正当としてこれを認容すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の「第三 争点に対する判断」に記載の理由説示と同一であるからこれをここに引用する。
一 原判決一二枚目表末行の「昭和六一年」から同一二枚目裏五行目の「本件に現れた」までを次のとおり改める。
「(一) (証拠・人証略)の結果によれば、昭和六一年一一月一〇日午後四時一〇分すぎころ、森、堀江、今井、萩原及び磯崎の助役五名が、旧検修詰所へ赴き、同所を占拠していた被控訴人ら五名を含む兼務職員らに対し、速やかに指定詰所へ移動するよう通告したこと、その直後森助役らがその場を立ち去ろうとしたところ、被控訴人藍及び同岡本が旧検修詰所から出て、森助役に対し「話しがある。」などと言いながらその腕を掴むなどしたこと、続いて被控訴人金井、同清水を含む大勢の兼務職員らも旧検修詰所から出て森助役の周りに集まり、被控訴人藍、同岡本、同金井及び同清水ら兼務職員と森、今井らの助役との間で、「話しがある。」、「来なさいよ。」、「やめなさい。」などの雑言のやり取りと小競り合いがあったこと、その後助役らと兼務職員らが事務棟一階の助役執務室前へ向かったこと、さらに同日午後四時四〇分ころから午後五時ころまでの間、被控訴人遊佐ら兼務職員が助役執務室に入り、同人らを退去させようとした堀江、今井の両助役と小競り合いになったことなどがそれぞれ認められる。
(二) ところで、本件に現れた」
二 同一三枚目裏一行目の「証拠」の次に「(以下、右助役らの原審における証言だけでなく、各刑事証言、陳述書、現認報告書等の記載内容についても、右助役らの「供述」という。)」を加え、同二行目の「右各証拠」を「右被控訴人らや兼務職員らの供述関係証拠」と改め、同一四枚目表一〇行目の「なかった。)」の次に「(<証拠略>)」を加える。
三 同一四枚目裏六行目の「述べている」の次に「(<人証略>)」を、同一五枚目表三行目の「ない」の次に「(本件録音テープに、<証拠・人証略>及び原審における証言を合わせて検討してみても、二度目のバンドにかかわる出来事を認めることはできない。)」を、同一六枚目表六行目の「供述している」の次に「(<証拠・人証略>)」を、同九行目の「いない」の次に「(<証拠・人証略>)」をそれぞれ加える。
四 同一六枚目裏六行目の「見ていた。本件録音テープには、」を、「見ていた(<証拠・人証略>)。本件録音テープには、被控訴人金井らの右発言に続いて」と、同一〇行目の「森助役に」を「森助役を」とそれぞれ改め、同一七枚目表六行目の「述べている」の次に「<人証略>」を加え、同一七枚目裏五行目の「頚椎捻挫」を「頸部捻挫」と改め、同八行目の「た。)」の次に「(<証拠・人証略>)」を加え、同一八枚目表六行目の「なかった(右の」を「なかった(<証拠・人証略>)。右の」と改める。
五 同一八枚目裏七行目の「述べているが、これらは、」を「述べている(<証拠・人証略>)が、これらの発言や録音機が止まるほどの激しい衝撃は、」と、同一〇、一一行目及び同一九枚目表一行目の各「同証言」を「右供述」と、同七行目の「供述」から同一〇行目の末尾までを「供述をしている(<証拠・人証略>)。」とそれぞれ改め、同二〇枚目表末行の「いる」の次に「(本件録音テープ<証拠略>)」を、同二〇枚目裏五行目の「である」の次に「(<人証略>)」を、同二一枚目表三行目の「しており」の次に「(<人証略>)」をそれぞれ加える。
六 同二一枚目裏二行目の「各助役の供述」を「(<人証略>)」と、同二二枚目表六行目の「表現しており、」から同八行目の末尾までを「表現していることが認められる。また、森助役と堀江助役については、本件バンド事件に関し、刑事事件の捜査段階での供述がその後変遷し、供述合わせをしている節が窺われる。」と、同九行目の「このようにみてくると、右助役らの供述は、バンド事件」を「右のような認定、判断及び被控訴人らの各刑事証言(<証拠略>)、原審における被控訴人藍、同岡本、同清水の各供述に照らすと、前記五人の助役らの各供述のうち控訴人主張の暴行に関する部分は、前記1(一)認定のような、バンド事件」とそれぞれ改め、同二二枚目裏五行目の末尾に続けて「そして、右助役らの各供述のほか、他に控訴人主張の暴行の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。」を加える。
七 同二三枚目表八行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「控訴人は、本件懲戒処分は被控訴人らの昭和六一年一一月六日から同月一〇日までの間の横浜人活センターにおける一連の非違行為全部を処分事由とするものであるから、原判決別紙懲戒処分事由一覧表記載の各暴行行為の有無だけでなく、一連の行為の全てについてその存否を認定したうえで、本件懲戒処分の有効、無効を判断すべきである旨主張する。
被控訴人ら兼務職員の同年一一月六日から同月一〇日までの間の横浜人活センターにおける行動等は、前記「第二 事案の概要」四項の4の(一)ないし(三)及び「第三 争点に対する判断」一項の1の(一)に認定したとおりであり、これによれば、被控訴人ら兼務職員は、同月六日から同月一〇日までの間、横浜人活センターにおいて、現場管理者らの指示に従わず、指定された正規の詰所へ入らないで旧検修詰所に入室してこれを不法に占拠し続け、指定詰所へ移動せよとの度重なる管理者らの指示にも従わず、また、管理者が指示した始業時刻を遵守せず、管理者らの業務上の説明に対してもしばしば反発して混乱を招くなどしているものであることが認められる。そして、日本国有鉄道就業規則など国鉄の諸規則(<証拠略>)によれば、被控訴人らのこれらの一連の行為は、職場の規律と秩序を乱す行為であって、前認定の右行為に至るまでの諸事情を考慮しても、職員として著しく不都合な行為に当たることが明らかであり、相当の懲戒処分に値するものというべきである。
しかしながら、仮に、控訴人主張のとおり被控訴人らの右一連の行為が本件懲戒処分の処分事由に含まれるとしても、原判決別紙懲戒処分事由一覧表の記載内容などに照らすと、当時の国鉄は、右一覧表記載の各暴行行為が、右三日間の一連の行為のうちで最も違法性の顕著な行為であると判断し、これに基づいて本件懲戒処分を発令したものであると認められるところ、前記のとおり、右暴行行為の存在を認めるに足りる的確な証拠がないとすると、それ以外の一連の行為のみをもって、免職処分にまで処するのは、前記認定のような右行為に至るまでの背景や労使の強い対立関係があるなどの諸事情の下では、懲戒権の濫用として許されないものと言わざるを得ない。現に、右三日間の一連の行為を理由として、横浜人活センターの兼務職員二五名全員が懲戒処分を受けているが、被控訴人ら五名を除く、右暴行行為以外の非違行為を行ったと認定された兼務職員二〇名は、いずれも、免職処分にまでは至らず、停職ないし減給の懲戒処分を受けたに止まっている(<証拠略>)。
したがって、結局、被控訴人らに対する本件懲戒処分は無効であるというべきである。」
八 同二三枚目裏五行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「控訴人は、特別措置法は平成二年四月一日限り失効する旨定められた時限立法であるから、清算事業団の職員であって右期限までに再就職できなかった被控訴人らは、同法の立法趣旨、目的に鑑み、同法の右失効時をもって、清算事業団の職員の身分を失ったものであり、同月二日以降の賃金請求権を有しない旨主張する。
しかしながら、特別措置法は、「日本国有鉄道改革法の規定による日本国有鉄道の改革を確実かつ円滑に遂行するための施策の実施に伴い、一時に多数の再就職を必要とする職員が発生することにかんがみ、これらの者の早期かつ円滑な再就職の促進を図るため、当該改革前においても日本国有鉄道の職員のうち再就職を希望する者について再就職の機会の確保等に関する特別の措置を緊急に講ずるとともに、当該改革後においても日本国有鉄道清算事業団の職員となった者のうち再就職を必要とする者について再就職の機会の確保及び再就職の援助等に関する特別の措置を総合的かつ計画的に講じ、もってこれらの者の職業の安定に資することを目的」(同法一条)として立法されたものであり、この目的を達成するために、国鉄又は清算事業団及び国、地方公共団体その他の関係者はこの法律に定める措置を着実に実施するなどの責務があること(同法二条ないし四条)、国は、清算事業団の職員のうち清算事業団の理事長が再就職を必要とする者として指定した職員(清算事業団職員)に関し、再就職促進基本計画を策定すべきこと(同法一四条)、国、地方公共団体、清算事業団等は、清算事業団職員に関し再就職の機会の確保及び再就職の援助等に関する措置を講ずべきこと(同法第三章第二節、第三節)などが規定されているものである。同法附則二条によれば、同法は、昭和六五年(平成二年)四月一日限りその効力を失う旨が定められているが、これは、同法及び関連法規の立法趣旨及び目的等に照らすと、右国鉄改革後においては、改革時(昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法五条)から三年間に限り右の再就職促進に関する特別措置等を講ずることとし、清算事業団及び国、地方公共団体その他の関係者は、右失効後、特別措置法に基づいて右の措置等を講ずべき責務を免れ、これを実施することなどができなくなるとの趣旨を定めたものと解すべきである。
特別措置法は、右のような趣旨、目的の下に立法されたものであって、同法には、もともと、清算事業団の職員の地位の取得や喪失に関する規定は何ら存在していないのであるから、同法の失効によっても、清算事業団の職員の地位は、当然には消滅するものではないと解するのが相当である。現に、控訴人は、清算事業団の職員のうち「再就職を必要とする者として指定した職員」(同法一四条)についてのみ、平成二年四月一日付けで、改めて解雇する旨の通知をしている(弁論の全趣旨)。
なお、右「再就職を必要とする者として指定した職員」とは、国鉄が民営、分割化された際に、JR各会社等承継法人に採用を希望したが採用されなかったもの若しくは採用を希望しなかったもののうち、控訴人が「再就職を必要とする者」と認定してその旨の指定をした職員を指す(同法一四条)が、被控訴人らは、JR各会社等承継法人への採用を希望したものの、本件懲戒処分により免職されて採否の対象とされなかった者であり、したがって、控訴人から「再就職を必要とする者として指定」された職員でもない。
したがって、特別措置法の失効により、被控訴人らが控訴人の職員としての地位を喪失した旨の控訴人の主張は、理由がなく採用できない。」
九 同二三枚目裏一一行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「もっとも、本件記録中の執行停止関係書類によれば、被控訴人らは、平成六年二月一日、原判決に基づいて強制執行をし、それぞれ、昭和六二年三月一日(ただし、被控訴人遊佐のみ同年二月一二日)から平成六年一月三一日までの支払分として、被控訴人藍が一七三六万三六〇〇円、被控訴人岡本が一八四〇万九四〇〇円、被控訴人金井が二三七二万九七〇〇円、被控訴人清水が二三〇四万九一〇〇円、被控訴人遊佐が二四九九万〇一七五円(総額一億〇七五四万一九七五円)を取得していることが認められるが、(証拠略)によれば、被控訴人らは、本件懲戒処分を受けて以来右強制執行まで約七年間、本件の賃金収入が無く、借入金、資金カンパなどで一家の生活を支えてきており、右強制執行による取得金は、将来の生活費等として蓄えられるよりも、延滞している税金、保険料等の未払金の納入や過去の生活費としての借入金の返済等に費消された部分が多いものと推認されるから、右強制執行による取得金があったとしても、本件懲戒処分がなされた昭和六二年二月時点における賃金額の限度において賃金仮払の必要性があるとの右判断を覆すことはできない。」
第五結論
よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 新村正人 裁判官 市川賴明)